卒業研究
障害認識へのアプローチ
~エピソード記憶が改善した一症例~
Approach to Patients with Unrecognized Memory Loss A single case that showed improvement in episodic memory
言語聴覚士学科
谷美咲
要約
辺縁系脳炎により両側海馬をはじめとする内側側頭葉に病変を認め、エピソード記憶の前向性健忘および逆向性健忘を呈した30歳代女性の症例に対してリハビリテーションを行った。エピソード記憶とは、「いつ」「どこで」「何をした」のような体験した出来事の記憶である。リハビリテーション開始時は記憶障害に対する認識が得られておらず訓練の必要性が理解できなかった。そこで障害認識へのアプローチを実施した。その結果、障害の認識が得られ自ら代償手段を使用して記憶を補うようになった。エピソード記憶にも改善がみられたことから、障害認識および代償手段の獲得がエピソード記憶の改善にも有効であることが示唆された。
目的
本症例は30歳代、女性、右利き、辺縁系脳炎と診断され、頭部MRI画像にて両側海馬および内側側頭葉、尾状核頭などに高信号域を認めた。初期評価において明らかなエピソード記憶の前向性健忘および逆向性健忘を認めたが、自らの記憶障害に対する認識はなく、リハビリテーションの必要性を理解できなかった。そこで障害認識に向けたアプローチを実施した。
方法
①日記、②外的手がかりとしてのメモ(メニューに応じた食材の買い物リスト)の作成、③内的手がかりとしてのPQRST 法を実施した。①においては経験した出来事の日付と時間、その内容を書くように指示したが、導入時は自分では書こうとしなかった。その為、出来事の直後にそばにいる病院スタッフがその都度日記を書くよう声かけを行った。
結果
日記において初めは促しが必要であったが、次第に「忘れてしまうから書いておこう」と自ら記入するようになり、障害が認識された。メモではやる気がない様子から能動的に行うなどの変化がみられ、代償手段の必要性に理解を得た。PQRST 法でも積極的に取り組み、所要時間の短縮、正答率の向上を認めた。日常生活では出来事を部分的にではあるが想起できる場面が増加し、エピソード記憶の改善を認めた。
考察
記憶障害について両側海馬の損傷は1~2 年と比較的短い逆向性健忘を引き起こし、内側側頭葉に限局した領域がエピソード記憶の記銘過程に関わるとされている(藤井、2000)。本症例においても病変部位は両側海馬をはじめとする内側側頭葉であり、発症前約2 年間の逆向性健忘および前向性健忘を呈していた。記憶障害の症例は自己の障害に気づくのが難しく、気づきを促す代償手段の活用が有効であるとされており(中川ら、2011)、本症例では日記を用いてアプローチを行った。日記が自己の状態をフィードバックする手段となり、自らの記憶障害を認識するに至ったと考えた。障害認識は社会適応(家庭復帰)へ至る為に必要な過程であるとされており(阿部、1999)、自らの障害を認識できたことが記憶を補う代償手段の自発的・習慣的な使用につながったと考えた。日常生活場面でも出来事を部分的に想起できる場面が増加したことから、障害認識および代償手段の獲得がエピソード記憶の改善にも有効であることが示唆された。エピソード記憶は社会適応にあたり不可欠な能力であるが、改善に向けた直接的なアプローチ方法は報告がなく、今後の検討が望まれる。